去る2010年11月19日~21日、スマートフォンの先駆けと言われている「PDA(Personal Digital Assistant)」を懐かしむイベント「PDA博物館展示会」が秋葉原で開催された。同展示にあわせ、11月20日には、当時を知る著名モバイラーによるパネルディスカッションが開催された。

参加パネラーは、伊藤浩一 氏(伊藤浩一のW-ZERO3応援団)、山田達司 氏(J-OS生みの父)、庄司恒雄 氏(ライブドア、All About Japanガイド)、文市 氏(文市の小箱茶室)、memn0ck 氏(S-MAX運営)、田中裕子 氏(ポチさん)、井上真花 氏(Palm生活の作者)ほか。

■隠れたエピソードも聞けたディスカッション
パネルディスカッションでは、当時の隠れたエピソードや、現在のスマートフォンに受け継がれているPDAのDNA、理想の携帯端末などについて語られた。

パネルディスカッションは、自己紹介と一番愛したPDAなどなについて話から始まった。

●ユーザーの立場を離れて応援 - 伊藤浩一 氏
伊藤浩一 氏は「HD 200LX」からPDAを使い始めたが、その後はPalm系ではなく、Windows CE系のPDAを使っていたそうだ。
伊藤浩一 氏(伊藤浩一のW-ZERO3応援団)

iモードが登場してPDAが売れなくなってきたとき、「シグマリオンIIIという機種が出たとおきに、この機種を応援しなければ、PDAが駄目になってしまうと感じて、ブログを立ち上げました。」と、ブログを始めたキッカケを明らかにした。

その後、BenQのPDAなどを使ったあとで、ウィルコム「W-ZERO3」が登場し、「W-ZERO3応援団」というブログを立ち上げたそうだ。「そこからユーザーの立場を離れて応援するかたちで、活動しました。」とのこと。現在のiPhoneが存在するのも、当時のW-ZERO3があったからだという。

●Palmはサクサクと動いた - 山田達司 氏
山田氏は、英語版しかなかったPalmを日本語化する「J-OS」の作者であり、ユーザーからは「神様」と呼ばれている人だ。プログラミングには、中学生の頃から興味があり、当時、授業がつまらないので、何が別のことをしようと、カシオのポケコンを使っていたそうだ。当時からメジャーなものは嫌いで、あえてマイナーなものを選択していたという。
最初のモバイルはアップルの「Newton」だったが、期待していた夢の世界とはかけ離れていたそうだ。
山田達司 氏(J-OS生みの父)

「今のスマートフォンが持っている当たり前の部分でかなりの部分を、Palmは持っていたんですね。ソフトウェアを作ってみると、サクサクと動いたんですね。」と、Palmのソフトウェアを開発するキッカケを語ってくれた。

●通信ができる端末を選んでいた - 庄司恒雄 氏
1999年ぐらいから「PDA Japan」という情報サイトを運営していた。当時からいくつかのPDAがあったが、それらの情報をまとめて見られるサイトがなく、同サイトを立ち上げるキッカケとなった。
「1日40本くらい書かないといけないんですよ。各カテゴリ10本ずつ書くことを考えると、...。」と、当時を振り返る。
庄司恒雄 氏(ライブドア、All About Japanガイド)

「最初から通信ができる端末を選んでいました。Palmだったら『TRG Pro』、CEだったら『ペルソナ』だったり。通信ネットワークが繋がなければ、世界と繋がらない。パソコンなしで自由にできる、その自由さがかけがえのないものでした。」と、あえて通信ができる端末を選んでいた理由を語ってくれた。

●いつまでも楽しめた - 文市 氏
文市 氏は、1993年に「HP 100LX」を購入して。「いつでも使えて常に持ち歩けるコンピューターがあるということで、すっかりはまってしまって。」と、当時を振り返る。「HP 100LX」に母艦が必要なのでパソコンを購入したり、キーボードが必要なので「オアシスポケット3」、マザーボードを交換したいので「HP 200LX」というように、小箱が出たら必ず購入しなければいけない感じになってきたそうだ。
文市 氏(文市の小箱茶室)

「買ったものに対して設定したり、ソフトも企業ではなく、ユーザーさんのソフトをつかったり、いつまでもいつまでも楽しめる点がありました。」と、当時のPDA事情を振り返りながら、その魅力を語った。

その後、Palmをはじめとする、いくつかのPDAを使ったが、「Jornada 568」やLinux系「Zaurus」がお気に入りだったという。今は素晴らしいスマートフォンが登場し、うれしいそうだ。

●情報収集と入力に使っていた - memn0ck 氏
memn0ckさんの最初のPDAは、ヒューレット・パッカードのキーボード付の端末「HP 200LX」で、当時は大学生だったそうだ。文字の入力と情報収集が目的だったので、「HP 200LX」の次は、Linux系のZaurusを使用して、移動中にサイトを更新することもあったという。
memn0ck 氏(S-MAX運営)

当時のデータ通信は最大32kbpsだったが、最大まで出ないのに疑問を持ち、そうした疑問や使っていてわかったノウハウをまとめたのが、「memn0ck」という情報サイトのキッカケだった。それから一貫して無線のデータ通信による定額サービスについての情報を収集している。PDAだけでなく、携帯電話についての情報も追いかけている。

memn0ck 氏は、「(PDAは)情報収集と入力に使わせていただいてます。そういうのをやっていたので、WILLCOM W-ZERO3はものすごく合っていました。」と、当時のPDA事情を振り返った。キーボード付の端末が好きだという。

現在、ライターとして活躍するとともに、ライブドアのモバイル系ブログメディア「S-MAX」の編集長を担当中だ。

●Palmが私の人生を変えた - 田中裕子 氏
田中氏はマックユーザーで、当時、「PowerBoook 2400」のサイトを運営していたそうだ。
「Palmが気になって秋葉原で衝動買いをしたのはいいんですが、J-OSを入れなければいけない。当時、Windowsユーザーの情報サイトはあったが、Macユーザーのためのサイトがなかったので、Macユーザーのための情報サイトをやろう。」というのが、サイトを構築するためのキッカケだった。
田中裕子 氏(ポチさん)

当時は会社員をやりながらライターをしていたそうで、1年半ぐらいは睡眠時間が2~3時間だったというからお驚きだ。その頃は会社で設計をやっていたが、そろそろ別のこともやりたくなったので、退職し、ライターになったそうだ。「Palmが私の人生を変えたのではないかと思います。」と、当時を振り返った。Palmの書籍が売れなければ、今のような状況はなかったという。

田中氏によると、Palmの端末の思い出よりも、その当時に出会った人との思い出のほうが多く、現在でも付き合っているそうだ。


今回のパネルディスカッションは、PDAの機種名が話に出るたびに盛り上がった。開催は2部に分けられて開催されたが、立ち見が出るほどの大盛況だった。

PDA博物館の展示については、今後も開催されるとのことなので、今回、展示に行けなかった人にもチャンスはある。機会があれば、またレポートしよう。

PDA博物館

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