-4年間の全島避難からの復興を続ける三宅島の自然と島民たち-

東北地方太平洋沖地震で改めて思い知ったのは、日本は天災と隣り合わせの国だということだ。しかし、どのような天災に襲われようとも、人々は自分の街に戻ってくる。

人は何故、天災に見舞われながらも再び故郷を目指すのだろうか、何が人を呼び戻すのだろうか。

災害からの復興を目指しているのは、東北地方太平洋沖地震の被災者だけではない。ここにも、もう一つの「がんばれ日本!」がある。火山の噴火により、4年間もの全島避難から復興を目指している三宅島の人々だ。

東京銀座にあるリコーフォトギャラリーRINGCUBEで2011年7月13日から31日まで開催される「火山の島」展は、噴火という災害から復興を目指している島の住人たちを通し、三宅島という島が持つ魅力を再発見する企画だ。

今回の写真展では、多くの有名写真賞を受賞している日本を代表する写真家 上田義彦氏がが撮り下ろした、全島避難から島に戻った人々のポートレートと島の風景写真により、三宅島の魅力を浮き彫りにする。

この企画は、RINGCUBEの一般応募により参加したボランティアによる企画チーム doughnuts(ドーナツ)が発案、実現していることも画期的な試みである。

doughnutsは、一般公募で集まった61名(2011年7月現在)のメンバーで構成されている。メンバー自身で企画展のプロデュースやオリジナルグッズの提案、ワークショップ運営の支援などを通して、見る側の視点で写真の新しい楽しみ方を発信しているのだ。

doughnuts(ドーナツ)

■上田義彦氏 in 三宅島 with doughnuts
今回、上田氏の撮影取材に同行したのは、doughnutsの小林正吾郎さん、芦田みゆきさんのお二人。撮影の前週には、doughnutsメンバーでロケハンを実施し、撮影ポイントの下見、島民の人の撮影アポ、三宅島の観光協会との交渉までしっかりサポートしている。

今回、同行したdoughnutsメンバー、小林正吾郎さん、芦田みゆきさんに、三宅島での撮影に合間にお話を伺った。

■3年間の島での生活経験から企画を提案 - 小林正吾郎さん(doughnutsメンバー)
小林さんは、練馬出身、41歳。22歳でダイビングの仕事に就くため三宅島に来島。ダイビングのライセンスを取得し、3年ほど三宅島でインストラクターとして暮らした。その後、パラオ、フィリピンでのダイビングインストラクターを経て、28歳で東京練馬 桜台駅前にある実家の写真店 日正写真商会を継いでいる。
企画発案の小林正吾郎さん(doughnutsメンバー)

日正写真商会

今回の宿泊させていただいた民宿 スナッパーは、小林さんがダイビングの修行をした思い出の場所でもある。オーナーの野田博之さんは、ダイバーでもあり、バードウォッチガイドでもあり、自ら写真も撮って写真展を開くなど、三宅島の自然をアピールし続けている。
三宅島の自然を知り尽くすスナッパーオーナー野田博之さん

カラスバトの見られる宿 スナッパー

小林さんは、RINGCUBEオフィシャルTwitterの募集を見てdoughnutsに応募したそうだ。それまでは個人や店で写真展の企画経験はあったが、メーカーの企画展のやり方などに興味があって参加したという。

今回の企画は、小林さんが3年間暮らした三宅島と島民の人たちとの繋がりから昨年 12月にdoughnutsの専用SNSやサロンの中でメンバーによる企画のひとつとして提案したという。メンバー内の投票で上位の三企画に選ばれ、最終的にRINGCUBE側で企画展として採用されることになったそうだ。

撮影を依頼する写真家は、コマーシャルフォトの第一人者でもありますが、三宅島という島が持つ魅力と島の方々の素顔の表現を大切にしたいとの思いからポートレートの第一人者である方というdoughnutsメンバーの強い希望で上田氏に依頼をしたところ、日程など余裕もない中、快く引き受けていただけたという。
これには、依頼したdoughnutsメンバー、小林さん、RINGCUBEもびっくりしたという。

小林さんは、今回の企画について、三宅島が先の噴火で4年間も全島避難していたことや、非難解除後も、まだ生活も観光客も以前の状態までに回復していないこと、一般の人たちには、避難解除されていたことすら、あまり知られてない現実に心を痛めていたという。同じ東京から、なにかしら手助けをしたいという思いがあったそうだ。

今回の撮影では、3年間の在島経験と島民の人との繋がりと、三宅島観光協会のアドバイザー津村さく江さんの協力のもと、送迎、島の解説、撮影のヘルプなど、大活躍された。
三宅島環境協会のアドバイザー津村さく江さん(中央)と


■全島避難からの生活復帰を 芦田みゆきさん(doughnutsメンバー)
元々は、詩を書いていて表現のひとつで写真を始めたという芦田さん。写真も始めたが、周りに写真関連の知人がいなかったことから、RINGCUBEのホームページの募集を見て参加したそうだ。

小林さんのdoughnut専用SNSやサロンでの書き込みを見て今回の企画にスイッチが入ったという芦田さんは、三宅島は全くしらなかったそうだが、実際に島に来て、三宅島に魅了された。今では、全島避難からの生活復帰をする三宅島の人々の支援のためにも、今回の企画を成功させたいという。

ロケハンにも同行した芦田さんは、大変なものを背負っているのに、枯れた木の下から新しい木が育っているように、島の人がすごく明るく、生き生きと生活していて、自然と人が力強く生きている明るさに感動したそうだ。

本番の撮影では、上田氏が撮影された方に、直接、島のみなさんに話を伺った芦田さん、インタビューは初めてとあって、最初は芦田さんの方が堅くなっていたが次第にいろいろな話を聞き出せるようになっていった。

三宅島の人たちは、話を向けると、明るく、屈託のない表情で話してくれる。芦田さんも、質問を用意しなくても話をしてくれる人たちに接し、実はたくさん話したいことを内に秘めて生きていると感じたという。4年という避難生活、島に戻ってきてからの生活と島の復興を背負って、ためてきた想いが島の人の中にあるのだと思ったそうだ。

芦田さんは、東京に戻ると島と同じような生活はできないが、都会の生活の中で島で感じた想いを活かせる方法を考えていきたいという。

今回の撮影で出会った美しくもたくましい島の人との出会いを少しだけ紹介しよう。

■3度の噴火を経験した94歳の可憐さ、くさやの伝統を継ぐ20代の美人姉妹の心意気
4年という避難生活で生活基盤が島から離れた人も多い中、三宅島の戻った人たちの強い思いを辿りながら撮影は進んでいった。

○神の住む島
境内の中のとっておきの場所を披露してくれたのは、NHK大河ドラマにもなった篤姫様が三宅島に漂着した際に残した蹉跌(さてつ)が見られる御笏神社(おしゃくじんじゃ)の宮司の壬生明彦さんだ。
御笏神社(おしゃくじんじゃ)の宮司の壬生明彦さんと

御笏神社は、永正3年(1516)に建てられた三宅島の創造主事代主命の后佐伎多麻比咩命を祀る神社だ。三宅島は神道の島で、噴火が起きる度に慈鎮として祠や神社が建てられてきた。その数、今では200近くあるという。

三宅島での冠婚葬祭は宮司さんが執り行い、親類という地域コミュニティが主賓に変わってすべてを取り仕切ってくれるという。三宅島では、血族を親戚、コミュニティを親類と呼び、今でも人々がお互いに生活を支えあっているのだ。三宅という呼び名の起源は、御宅。神の住まう島という意味で、古からの信仰の中心でもあったのだそうだ。
御笏神社(おしゃくじんじゃ)

○3度の噴火を経験しても島に戻った94歳の可憐なおばあちゃんの一番好きな場所
三宅島には、都会のようなコンビニはない。そのかわり、地区毎になんでも揃うスーパーがある。正大も、食品からバーベキューコンロ、花、花火、ペット用品、駄菓子にいたるまで、なんでも揃うスーパーだ。この正大のおばあちゃん浅沼持布(きぬた)さんは、なんと三宅で3回の噴火を経験してきた女性だ。
撮影では、子供たちの家とスーパー、そして椿の木が見下ろせる自分の一番好きな玄関脇を教えてくれた。3度の噴火を見てきたおばあちゃんは「生きているといろいろあるから」と、こともなげに発した言葉の中から、しなやかで力強い三宅の人心が伝わってきた。
3度の噴火にも負けないおばあちゃん浅沼持布(きぬた)さんの一番好きな場所で

正大ストアー

○伝統を後世に伝えるために・・・
三宅島が受け継いできた伝統に清漁水産のくさやがある。しかし4年間の避難生活でくさやの命でもあるタレが駄目になったという。三宅の伝統であるくさや復活のために、新島からタレを譲り受け、三宅のくさや復活を果たしたのが清漁水産の2代目青山敏行さんだ。そんな父の姿を見て、清漁水産の3代目を受け継いでいるのが、まだ、どこから見ても普通の20代にしか見えない二人の娘たちだ。

彼女たちの表情は、島の自然のように明るく、屈託のないものだった。また、この親子は、三宅島の伝統芸能である木遣太鼓を受け継ぐ人々でもある。

父はいう、くさやと神着地区の牛頭(こず)天王祭に使われる御輿の組み立て方を若いものに残さなければ、という思いから島に戻るのだと。そして、また噴火があっても、二度とこの島を離れないとも語った。
親子2代で伝統をまもる青山敏行さん

清漁水産
木遣太鼓

今回の撮影では、島への想いを内に秘めたが多くに島の人々に出会うことができた。doughnutの二人も、こうした島の人たちの不思議な力強さが上田氏にも伝わっていったように感じたという。

スケジュールの都合で、先に帰京することになった今回の企画の発案者小林氏は、復路の船内で、想い続けてきた企画が実現できたことに目を潤ませた。

三宅島の人々、doughnutメンバーの想いと上田氏が撮り下ろした、三宅の人々の島への想いと東京で一番天国に近い三宅島の景色は、「火山の島」展を、是非、観て感じて欲しい。


最後に、今回、取材の全面協力いただいた三宅島観光協会の皆様にも感謝と応援を送りたい。

別名バードアイランドといわれる鳥の楽園でのバードウォッチ、ドルフィンスイム(イルカウオッチング)、ダイビング、釣り、噴火跡や史跡、夏には海水浴、さらに豊かな森林による癒し効果、おいしい食べものなど。

同じ東京とは思えないほど安くて自然を満喫できる、かぎりなく天国に近い三宅島。今度は、家族と一緒の訪れたいと口をそろえて語ったスタッフだった。
三宅島観光協会

■doughnuts(ドーナツ)とは
doughnutsの魅力のひとつは、メンバーがプロデュースする企画展を開催できることだ。もちろん、ギャラリーが認めるクオリティに達していることが条件だが、それだからこそ、メンバーで企画する展示が実現した時の感動は格別なものだ。2010年は写真展「壁 -地球に垂直な平面-」では、doughnutsメンバーが作家の選定や、コンセプト作り、そして展示会場で流す動画の制作を行うなどプロデュースした。

○ワークショップイベントサポートもしている
RING CUBEで定期的に開催されているワークショップのサポートも、doughnutsメンバーが活躍している。撮影会の引率や、作品のプリント作業、時には新たなワークショップの提案もしている。RINGCUBEを訪れる人々に写真の楽しさを伝える活動にdoughnutsメンバーは協力しているのだ。

○オリジナルグッズを提案
doughnutsメンバーが提案したグッズとしては、RINGCUBEで限定販売されているピンバッジがある。GR、オートハーフ、フレックスと、リコーを代表する5種のカメラ型ピンバッジはギャラリーを訪れる人々にも大人気だそうだ。専用SNS内やサロンでメンバー同士が議論を重ねて生まれた記念すべき初のグッズなのだ。

■火山の島
会期:2011年7月13日~31日
場所:RINGCUBE 8階ギャラリー

撮影:上田義彦

1957年兵庫県生まれ。1980年、ビジュアルアーツ専門学校・大阪を卒業し、写真家・福田匡伸氏に師事。1981年、写真家・有田泰而氏に師事、その後1982年独立。
日本を代表する広告写真家として活躍しながら、同時に数多くの個人作品を撮り続けている。その独自の世界を持った作品群は国内外から高い評価を得る。

代表作
東京大学総合研究博物館の標本コレクションを撮影した『CHAMBER of CURIOSITIES』
アメリカインディアンの聖なる森を捉えた『QUINAULT』
舞踏家・天児牛大を撮影した『AMAGATSU』
フランク・ロイド・ライトの建築物を撮影した『FRANK LLOYD WRIGHT』
日本人作家やアーティストなどのポートレート集『ポルトレ』
自身の家族を写した『at Home』
『1986』(アートビートパブリッシャーズ刊)
など多数。

リコーフォトギャラリー「RING CUBE」

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